まっちゃん の 鎌倉散歩生活 

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zoom RSS 長尾台の ・・・ 長尾定景が見せてくれたもの ♪

<<   作成日時 : 2016/01/06 14:08   >>

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石橋山の合戦で頼朝側の「佐那田与一義忠」を討ち取った人物と、

大イチョウの前で源実朝を殺害した「公暁」の頸を取った人物は同一人物

それがまさに長尾台の長尾定景です。



・・・ というわけで、昔の写真を探すより行った方が早いので、

そそくさと「長尾台」へ。



長尾台ってどこよ   という声が聞こえて来そうですが、

大船観音から北西方向へすぐの 丘続きの場所です。

  (この丘続きってところがポイント!)

柏尾川沿いから細い道を上ると。。。
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その看板が見えて来ます。

ご面倒でも、ぜひ ご一読ください。
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1180年石橋山の合戦(源頼朝が旗揚げしたあと早速負けたあの合戦)で、

頼朝を護っていた佐那田与一義忠を討ち取ったのが、長尾台の長尾定景

そして、

1219年1月、三代将軍源実朝を殺害した別当公暁を討ち取ったのも、長尾台の長尾定景なんです

なんと!頼朝の寵臣(ちょうしん)を討った武将が、晩年頼朝の子の仇を討つ

長尾定景の生年は不詳とされていますが、仮に石橋山の合戦当時20歳であったとしても、公暁を討ったときにはほぼ60歳。

当時の平均年齢は30歳にも満たないというのが定説ですし、

世間の誰よりも分別盛りの年齢に達した長尾定景が、老骨に鞭を討ってその使命を果たしている。


敵が味方に寝返ったり、味方が裏切るなんてのは、今も昔もよくある話しかもしれませんが、

たとえ寝返った後でさえ、ここまで主君に忠を尽くす姿には、感動さえ感じます


写真は、長尾台の北側・県道23号原宿六ツ浦線から田谷の洞窟のある常泉寺方向を見た図です。
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見た通り写真の右側は、柏尾川の河川敷。

鎌倉時代の少し前までは、この辺りは「川」というよりは「入り江」と言った方がふさわしいくらいでした。

長尾台には長尾定景の砦があり、田谷の洞窟辺りは和田義盛の子・朝比奈三郎義秀の砦があり、

少し離れた(今の清泉女学院のある)玉縄も、いずれ北条早雲の砦(城)となるわけですが、

玉縄城が築かれた1513年当時でさえ、柏尾川から相模湾まで船を繰り出すことが出来たといいます。


ついでと言ってはなんですが、材木座海岸に流れ出ている豆腐川さえ、
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鎌倉時代には、商船が上り下りしていたそうですから、

かつての鎌倉は、今の鎌倉の町から「建物を除いた風景」に成り立っていたのではなく、

その半分くらいは海のような風景」の上に成り立っていたのです。

目くるめく昔の風景が思い浮かぶではありませんか



公暁に斬られる数年前、実朝は、東大寺再建に従事していた宋の工人・陳和卿(ちんわけい)にそそのかされ、

大船(大きな船)を造らせますが、結局船は動かすことも出来ず、由比ヶ浜で朽ち果てたと伝えられていますが、

当時の風景の中では、実は、ありそうな話しだったような気もします。


正に 『 歌あはれ その人あはれ 実朝忌 (菅裸馬 (すが らば))』です。




ほんの少し 長尾台を訪ねただけで、

今は昔の とりとめもない鎌倉の情景が、まさに目の前に広がって行きます。


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変わらないのは、青い空だけなのかもしれません










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